岩手県立美術館

vol.59 賢治の手紙に思うこと

常勤契約職員 伊藤聡子 
2015.5 

今、美術館の常設展示室では「私が友 保阪嘉内- 宮澤賢治全書簡」が開催されている。賢治が嘉内へ宛てた書簡を主に、絵画などの資料をあわせながら二人の友情を読み取る展示となっている。
 全書簡72通、葉書や封筒の形を変えて、その日、その時々の思いが率直に表れているのは 「手紙」という媒体だからだろう。さらにその独特な文字は少し丸みを帯びて、時にぐるぐると続くような粘りのある文字に私には見えるのだが、賢治の持つ世界観、若き日の葛藤、伝えたい思いが視覚的にも表れているようだ。

 遠く離れた場所への情報伝達。情報として相手に一瞬で届いてしまうメールと、「手紙」という物と物の交換は、単なる情報のやりとりではなくやはり別物だ。コピーできる情報としてではなく、手紙は紙というはかない物質によって、人の手と思いによって、こうして長い間物として残っている。
 ふと「手紙」のことを思い出してみると、学生の頃の友達との手紙の交換、ふざけた漫画の絵、その場限りの何て事の無い用件。
 そんな若者だった私にも、もっと純粋に何かを書くことが好きだった幼い頃、遠く離れた祖父との文通の思い出があった。
 文の内容はよく覚えていないが、当時珍しかったモコモコペンで絵を描いたり、読んでもらえるようにと綺麗な字で一生懸命書いたり、今思えば愛情をこめた「手紙」だった。書き上げると丁寧に紙を折り、新しい封筒に入れ、切手をピリピリ、糊でベタベタにしながら封をする。幼い自分には、その作業が手紙を「贈る」という、なんだか一つの達成感のようなものだったと思う。
 そんな気持ちで送るものだから、祖父からふいに届いた手紙を開ける時も「お爺ちゃんが書いて自分と同じように封筒に入れてくれたんだなー」と、その費やした時間を想像するとなんだか嬉しい気分になるのだった。開けてみたその達筆で難しい文字はそんな思いを一変、時に母に解読してもらいながら文を読み、気の引き締まるような、でも最後はいつもあたたかい言葉が書かれてあるのだった。

 もちろん時代によって手段は違うからその重みは変わるのだろうけれど、「手紙」という身近な手段において、誰もが何かしら思い出をもっているものなのだろう。
 おそれながら、賢治と嘉内も手紙を交換しながらそんなふうに相手が筆をとる時間を思ったり、書かれた文字から思いを得たりすることもあったのではないかと想像する。
 何も構えずに嘉内だけに伝えたかった思いを覗いてしまうような忍びない気持ちもしながら、しかし敬意をもって静かに拝見してみる。
 活字やメールとは全く違う、それぞれに書かれた文字の大きさや筆の速さ、多様なリズムは、音を聴いている感覚だろうか。そこに言葉がのって声になる気もする。情報をこえて、しばらく賢治さんの声を聴いてみたい。

岩手県立美術館

所在地
〒020-0866
岩手県盛岡市本宮字松幅12-3
電話
019-658-1711
開館時間
9:30〜18:00(入館は17:30まで)
休館日
月曜日(ただし月曜日が祝日、振替休日の場合は開館し、直後の平日に休館)
年末年始(12月29日から1月3日まで)