岩手県立美術館

vol.68 別の話

専門学芸調査員 鈴木雄馬
2016.2 

 “巧遅は拙速に如(し)かず”とはよく言ったもので、世間の状況や自分の経験に照らし合わせてみると「全くその通りですね」と孫子(孫武)に同意するほかありません。仕事の上ではそれが真髄だとすら思いますし、もっと身近な、食事の時やなんかだってそうです。「そんなに手の込んだものじゃなくていいから、まず何か食べさせて」といった具合に。
 でも、最近は度を超して“早さ”を求め過ぎているようにも思います。ちょっと早さを持てはやし過ぎてはいないかな、と。。。春秋時代を生きた孫子も「いやいや、そこまでとは言ってないんですけど」と慌てているかもしれません。

 もちろん、早さを求める風潮は、個人ではなく社会の中から生まれているのだと思います。利便性や効率性を追求する社会全体の流れの中から、でしょう。そしてその流れの中で揉みくちゃにされながら、私たちはだんだんと、そしてごく単純に“待てなくなった”のかもしれません。誰が悪い何が悪いということではなく。。。「孫子さん、こっちだっていろいろあるんですよ」と言い返してもバチは当たらないでしょう。


 しかし美術においてはどうでしょうか。“早いこと=いいこと”という図式が成り立つでしょうか。美術作品を見るときに、「この作品は制作期間が短くて素晴らしいな」とか、「この作品は費用対効果が悪そうだからイマイチね」とか、そういうことを気にしますでしょうか。
 きっと多くの方が「それは別の話でしょ」と言うでしょう。そして少し考えると、むしろ逆ではないかということに気付くと思います。長い年月をかけて制作された作品から言葉にできない重みを感じ、無意味とも思える作業の果てにたどり着いた作品を見て感嘆の吐息を洩らす。。。そういうものではないでしょうか。
 それは何故かということは置いといて、こんなにも早さや効率が求められている現代でもなお、美術においては別の価値が大切にされているということのようです。

 ですから、そんな美術を語るときは、そんな美術の価値について考えるときは、早さや利便性、効率性は「別の話」になるはずです。逆に言えば、早さや効率のことを話し始めた時点で、それはもう美術とは「別の話」になっている、ということです。「別の話」を一緒にすることは危険です。「別の話」を一緒にすると、一方が捻じ曲げられ、その価値が歪んでいくことになるからです。
 全てのものにはそれぞれに独立した価値があるということを忘れてはいけないと思うのです。一緒には語れない「別の話」があると思うのです。渾然一体の激しい流れに揉まれているときこそ、絡まり合った糸を丁寧にゆっくり解いていくように、一つひとつの価値を見定めていかなければいけない、そう思うのです。

 とは言っても、慌ただしく料理をこしらえている妻に対して「僕はゆっくり食事を味わいたいんだ」なんて言えるわけありません。。。が、いいんです。それはまた、「別の話」ですから。
 それに、孫子も言っています。“勝算なきは戦わず”。それもまた“勝ち”であり、一つの“価値”だと。。。

岩手県立美術館

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