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vol.22 美術品の命

学芸普及課長 大野正勝
2012.4
昨秋以来、岩手県立美術館の一時保管収蔵庫には丁寧に梱包された150点ほどの美術品が保管されている。それらはこの美術館の所蔵品ではない。三陸沿岸の町、陸前高田市の博物館所蔵のものだ。
陸前高田市立博物館は東日本大震災の津波で所蔵する資料や標本、美術品も、建物ごと泥の海水に呑み込まれてしまった。被災後、この博物館の内部に入る機会があったが、何とも言葉もない状態だ。その瞬間まで市民が訪れていた博物館だったとは想像すらできない。無残な姿となった美術品が瓦礫とともに残され、不幸にもそこで亡くなられた方々に対してただただ心悼むばかり。同時にそれら美術品の命も失われてしまったように感じられ、死というものが横たわっていたその場所は自分にとって現実ではない別の場所であり、息苦しい思いに駆られていた。
被災した美術品は大量の黴が発生して大きな損傷と負担を受けていた。その後、東京文化財研究所や全国美術館会議などの組織が動き、岩手県教育委員会や岩手県立美術館などの協力によって盛岡市内で燻蒸殺菌の後、応急の修復処置が施された。しかし、それらはもう廃墟となった元の博物館に帰ることはないだろう。
美術品にも死ということがあるのだろうか。不幸にも焼却されたり破壊されたとしたら、それは人の死と同じように目に見えて理解しやすいが、今回の場合はどうだろう。泥の海水に浸かって言わば仮死状態となり、その後、救出されて此岸(この世界)に連れ戻され、資材に包まれたまま安静にしている状態とでも言おうか。死はこの世界の時間から断ち切られているということだ。もし、またこの世界に復活することがあるとしたら、生きていたあいだの命というものがあらためて意識される。
勿論、人の命は人類という種としての一つの命ではなく、人それぞれが自己という世界を内部に抱え、世界から切り離された独立した個々の自我として存在している。そう思えるのは、人間には複雑な意識の集合体、すなわち自我があるからだ。その自我から逃れられない私たち人間は、この世界での自我の消滅ということに対し、とてつもない恐怖を感じている。美術品に対してもそれが自我から発せられて創作されたものであると分かっているからこそ、人格にも準ずるような位置づけを目に見える形の個々の美術品に対して与えているのであろう。
人は、瞬間、瞬間の損傷と修復を繰り返していると言っていい。生物は傷つけられたとき、肉体的には生体の新陳代謝として、さらに人間は、大なり小なりの精神的な傷つきを繕うごとく言葉を発し、行動し、自らが納得できるよう無意識のうちに精神の修復行為を進めている。自我の傷つきをすぐさま快復しようとするのだ。
岩手県立美術館では、保管している美術品を2013年2月から4月にかけて展示、公開する予定である。傷を繕い快復させ、仮死からこちらの世界へと復帰させようとしているのである。
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