岩手県立美術館

vol.79 美術作品に関わるということ

首席専門学芸員兼学芸普及課長 大野正勝
2017.3

「数多くのなかから良いものを見つけ社会の中で生き生きと伝えてゆくことは大切な仕事。それをしなければその芸術は掬い取られることなく死んでゆく」。

 

 これは2012年6月にNHKで放送された吉田秀和氏の追悼番組の中で語られた生前のご本人へのインタヴューでの言葉。吉田秀和氏はその前月に98歳で亡くなられた日本を代表する音楽評論家である。敬愛する氏のこの追悼番組を見ながらそこで語られる氏の言葉を私は手短にあった紙に急いで書きとどめた。氏は続ける。「自分の生身の感覚をたよりに分析を続け、それを納得するまで分析し続ける。ふだんの暮しの中で感じることとの往復の中、思索の中で、書かれる言葉への鋭い感性を磨き、音の構成、楽譜を見てゆく」と。その時、私は氏が語る「音楽」をいつの間にか「美術」に置き換えながらその様子を想像していた。

 

 私が吉田秀和という名前を知ったのは40年近くも前の大学生の頃。毎週土曜日の夜にNHKのFMラジオに「名曲の楽しみ」という番組が流れていた。狭いアパートで一人静かにラジオに耳を傾けた。番組の出だしはこう始まった。「名曲の楽しみ。吉田秀和です」。テーマ曲もなく、いきなり氏のこの言葉で毎回始まった。少しハスキーで曇ったあの独特の氏の語り口が今も忘れられない。氏の言葉に聞き入り、番組で紹介される一曲のクラシック音楽をしみじみと聴いた。未熟な若輩者には氏が語る内容の1/10も理解できなかっただろうが、その気になって曲を聞いていた。その曲との出合いから生まれた自らの経験に即した氏の深くそして真摯な言葉によって、いつの間にか未知なる音楽世界に誘われ自分を忘れていた。「名曲の楽しみ」は氏の逝去の間際まで収録され続け、収録分は逝去後も放送された。

 

 図らずもここに書いた「経験」という言葉。二段落目に記した氏の言葉はまさに「経験」というに相応しいものだろう。経験とは、対象との出合いと関わりについて、まさにそうだと自ら納得できる自分自身の言葉で語り、それを多くの人たちと共有できるもの(言葉)になるまで思索を続けるということだろう。氏の追悼番組を見ながら美術作品を経験するとはどういうことなのかとあらためて考えた。番組の中の氏の言葉がひたひたと私に押し寄せてきた。そして冒頭の言葉。それは何のための「経験」なのかということ。自分自身が生きてきたことの証であると同時に社会的な使命として残してゆかなければならないものがあるということではないのか。

 

 また美術に置き換えてみた。その時代、その社会に残しておかなければならないものを見つけ出し、自らの思索によってその価値と意義を保存する。その行為は、私にはまさにその時代にその地域社会で活躍する美術館の学芸員の仕事と同じように思えた。

 

 翻って、地方で暮らした自分の少年時代のことを思い返してみた。東海地方の片田舎のこと。私の実家がある集落にはいろいろな職業の人たちが店を営み、それらの店を利用することで日常の暮しの多くは賄われていた。通りに面して、生鮮食料品店、時計店、酒屋、呉服雑貨店、飼料店、履物店、桶屋、マッサージあんま屋、テーラー、床屋、家電販売店、町医者、鍛冶屋などが軒を連ねていた。子どもたちは学校帰りに鍛冶屋の仕事を通りから眺め、仏頂面の怖そうな親父がふいごの中で朱色に焼けた鍬を鏨の上で叩き成形する様を飽きもせず眺めていた。飼料店の前を通るときはいつも少し粉っぽい独特な臭いがした。生鮮食料品店の前は湿っていて親父の声はいつも活気が漲っていた。隣の時計店の主人は寡黙で手元を照らす電灯の下でうつむき細かな手仕事をしていた。床屋で髪を切ってもらう時、鏡の前で自分はどうしたらいいのか分からずいつも緊張していた。実家の裏庭には1アールほどの畑があって子どもには少し重い鍬や鋤で畑を耕し、時には膝までつかる田んぼで田植えをしたりして、しばしば大人たちの農作業を手伝った。

 

 そうした小さな集落の暮しを考えてみると、その集落という地域で暮らしそのものが、実は現代の博物館で郷土の暮しの資料展示を見たり、普及事業に参加するのと同じことだったのではないだろうかと思う。昔は、それも片田舎に博物館などはなかった。それでも地域の人たちの暮しの様子や道具、習慣などは子どもの頃から体験して知っていた。地域が丸ごと博物館だったのである。現代はそうした時代と地域が失われている。だから博物館の活動がいっそう大切なものになってきている。しかし残念なのは、収集、保存されている博物館資料が、それが使われていた又は成り立っていた当時と現場からは、時間的にも空間的にも切り離され遠くなっているということである。いたしかたのないことだろう。

 

 私たちは博物館でそうした資料を見て、説明を読んで、資料の前で無意識のうちにその当時の様子を想像している。美術館でも同様だ。展示された美術作品を見て、作品の向こうにいる作者のことを想像している。どんな状況の中でどんなつもりでこの絵を描いたのだろうか。何を感じていたのか、苦しかったのか、誰に何を伝えようとしたのか等々。それは、見る人自身のことと重なって一枚の絵の前で様々な交感が始まる。見る人は大なり小なり自身の内部でその作品を感じとり経験している。そして言葉があれば、説明があれば、それが道標となってその作品の意義や価値といったものが理解できる。そうした貴重な美術経験の場となるように、美術館は、たとえ現場から制作当時から切り離されても、その時代と地域社会にとって優れた大切な作品を収集保存し意義づけてゆかなければならない。3.11によって多くの地域の記憶と歴史が丸ごと失われた。博物館の役割は何だろうかと考え話す機会が先日あったことから、冒頭に記した吉田秀和氏の言葉が思い出されたのだった。

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